最後の荷物
クリスマス・イヴは結婚記念日でもあって
旦那さまが毎年、薔薇の花を買ってきてくれます。

私達は11月末から2週間の間に、2つの大きな引越しをして
今は主人の実家で引越しの後片付けに追われています。 
朝起きてから深夜までずっと掃除と片付けという生活を、
もう2ヶ月近く続けています。

この家が建ってから40年間、母は一度も掃除をしたことがなかったのだそうです。
その居間や寝室、トイレや台所は腐ってとても悲しいことになっていて
私と主人はこの1ヶ月間、その40年分の掃除をしているのでした。
大切な書類を探し続け、山のような荷物を捨て続け、今も毎日捨てています。

人のさがというのは、不思議なものです。
認知症の彼女はどうして部屋が散らかるのか分からないのでした。
彼女はひたすら洋服やバッグや靴を買い続け、それはトラック数台分になり
高級住宅が買えるほどの金額に膨れ上がりました。
そして買ったことを、まるで覚えていないのでした。

9月に義父が寝たきりの生活となり、私達だけで両親を介護するのは不可能となり、両親が二人とも病院併設の介護施設に入ることになったのが10月。両親の介護施設への引越しのために何度も長野へ行ったのが11月、空き家となった彼らの家の掃除をし、私達が引越すことになったのが12月。主人も私もこの数ヶ月間、両親のために肉体的にも精神的にも力を尽くしてきました。


数ヶ月間、毎日言葉が出ないほど疲れ果てて
気がついたらクリスマスでした。
もちろんクリスマスをする暇は無く、今日も足の踏み場のない家で
朝からずっと掃除をしています。

この家には日陰の小さな庭があって、とても暗くなっていました。
先日、主人はそこに生えていた植物をみんな捨てました。そして
「バラを植えよう」と言いました。


クリスマスイヴは結婚記念日で、
掃除の合間に、主人が薔薇の花を買ってきてくれました。

明日は朝からトラックを借りて、最後の荷物を取りに行きます。
これで大好きなあの家ともお別れです。
スプールラック
先日、ずっとほしかったスプールラック(お裁縫の糸立て)が届きました。
作ってくださったのは、Mon Temps の kazumiさん。


彼女の作るスプールラックはとっても素敵で、私の手芸机の
置き場所の寸法に合わせて作っていただいたのでした。
引出しのノブにいたるまで私の希望を叶えてくださって
もう、わがまま放題で本当にありがとうございました。

プレゼントまでいただいてしまいました。
糸立ての真ん中に写っている、木製のクロス。
とても素敵です。

本当に細かいところまで丁寧に作られていて、感動です。
私は木工は苦手なので、女性でこんなインテリアを作れる方は
尊敬してしまいます。かっこいいです…。

数週間前に届いたのに、忙しくてご紹介する時間も無くて
ようやく日記に載せられました。うれしいです。
kazumiさん、ほんとうにどうもありがとうございました。

夫婦で暮らすこと
両親の介護をしていると、今の医療システムの難しさや
法律の不思議に気づくことがよくあります。

例えば、入院は3ヶ月ごとに病院を転院しなければいけないこと。国の政策で、仕方のないことですが、これには入院している義父もとても不安がっていて、それがきちんとした介護施設に落ち着きたいという理由のひとつでもありました。

それから要介護認定。私の義父母のように寝たきりだったり、認知症で自力で生活することが困難な人は、この「要介護認定」というのを受けます。でもこの基準がとても曖昧なのです。軽度から重度まで7段階の認定があるのですが、最近基準がまた改正されたようで、義父母も今週また再認定のために検査を受ける予定です。

それからもうひとつ。
もしも夫婦2人とも介護が必要な場合、その「要介護認定」7段階のレベルが2人とも別々だと、その夫婦が入る介護施設は別々になってしまうということ。つまり介護レベルが違うと、一緒には暮らせないのです。

ただでさえ心細いリハビリ生活なのに、年老いた両親がたった1人で、見知らぬ環境で知らない人に囲まれて暮らすというのは、あまりに酷なこと。私がまず探し始めたのは、この2人が「治療を進めながら」「安全に」「一緒に暮らせる」という条件を満たす未来でした。簡単でとてもシンプルなことなのに、とても少ない選択肢でした。

そしてすごくお金がかかります。彼らが今住んでいる東京近郊では、
とても手が出ません。そしてどこも満員なのです。

私は東京近郊だけではなく、義父母の故郷でも探しました。まだ工事中で完成していない施設も訪ねて、所長さんにお話を伺ってきました。
義父のパーキンソン症状と脳梗塞は、出来るだけ良い環境でリハビリを続ける以外に、進行を遅らせることは出来ません。義母の認知症の症状も、これ以上進むとだんだん家族で取り押さえることも難しくなっていきます。その大変さは、皆さん同じように経験されているようです。皆さんの経験を聞くととてもためになり、励まされます。

その所長さんの所には、薬科大学の教授や、お医者さんも家族のことで相談に来ていました。そういったプロフェッショナルな方でさえ頭を抱えているのですね。

夫婦で、さいごまで楽しく幸せに暮らすこと。
長寿は幸福でもあり、苦難でもあることを知りました。
「なんとなく老後を迎える」のは、危険な時代なのかもしれませんね。
ほんとうの幸せ
ドイツから主人の妹さんが日本に10日間帰ってきて、一緒に義母の介護と、入院している義父の世話を看て下さいました。昨日の朝、彼女はドイツへ帰っていきました。

戸籍上では、彼女は私の妹になってしまうのですが、私より16歳年上なので、私は「お姉さん」と呼んでいます。お姉さんはドイツでピアノ教師をしています。


今回は、両親の世話をしながら彼女と二人きりでいろいろなお話をしました。彼女が子供の頃の義父や義母のこと、楽しい思い出や悲しかったこと。彼女の旦那様や、兄である私の主人のこと。私は、自分の生い立ちや今までの暮らし、それから現在の生活とこれからの不安を、素直にお話ししました。

この2週間、私は他にもいろいろな人にお話を聞きました。主人の親戚の方々、姑さんの介護をした経験がある自分の伯母、子供の頃よくお世話をしてくれた田舎のおばあさん、仲の良い友人や、やはり介護の悩みを抱える近所の奥様、それから何冊かの本。

たくさんの、とてもたくさんのお話を聞いて分かったことは
どの人の意見も参考になり、そして
どの人の意見も参考にならない、ということでした。


みんな、それぞれ自分の価値観というものを持っています。その人が生きてきた環境、人間関係、好き嫌い、それから数々の経験や、それぞれが困難にぶつかったときの対処の仕方。もちろん介護する方も、介護される方もみんな違うのです。その苦しみや悩みには「どうしたらいいか」という方法はなくて、とにかく自分自身のケースと向き合っていくしかないのでした。

共通しているのは皆、自分が他の人に比べてとても特殊で、苦しい体験をしていると感じていたことでした。離婚、痴呆、暴力、介護、うつ病。お話を聞いていると「まともな家庭」というのは、日本には存在しないのかもしれないと思えてくるほど、みんな「あの人はおかしい」という人間を、身近に抱えているのでした。
そして、私自身も「自分は何故こんなに、次々に苦労が襲ってくるのだろう」と思っていました。特に結婚してから、平和な日を1日も過ごしていないのでした。

昨日の夜は主人と、そのことについて、ゆっくりとお話をしました。「幸せってなんだろうね」「どうして自分は不幸だと人間は思うのだろう」「男と女は結局、行き違ってしまうのだろうか」「最後まで仲良しで暮らすには、今から何をしたらいいだろう」
そんなことを、お話ししたのでした。


入院している義父が、退院をしたら介護施設に入りたいと言いました。「夫婦で施設に入りたい」という義父は、私達に負担をかけまいとしてそう言ってくれているのですが、義母は「家を出たくない」と抵抗しています。私は寂しい気持ちと、介護をしきれない申し訳なさと、現実に介護が始まって自分と主人の生活と仕事が進まない苦しさで、時々気が狂いそうになるのでした。

主人が介護施設の資料を取り寄せました。今日も朝早くから、介護施設の資料をいろいろと調べていました。主人が仕事に出かけて、私は家の片付けをしていると、お昼頃に電話が鳴りました。朝、資料請求をした会社から、さっそく電話がきたのでした。

その施設の方は、とても丁寧に説明をして下さいました。
私はたくさんの質問をしました。今の症状、心配なこと。施設では毎日どんなことをして過ごすのか、お金はどのくらいかかるのか、寂しくはないのだろうか。これ以上痴呆やパーキンソン病や脳梗塞が悪化しても、対応出来るのだろうか。

遠くても田舎で環境の良い、静かで自然の豊かな場所がいいのか。それよりも都会で医療設備の整った、毎日家族がお見舞いに行ける場所がいいのか。彼らの想い、私達の生活。死に往く人を前にして、全ての条件を叶えてあげられないとき、私達はどうしたらいいのでしょう。「ほんとうの幸せ」ってなんでしょうか。

「初めてのことで、どうしたらいいかわからない」と私は、電話の向こうの施設の方に言いました。「とてもご心配のことと思います。ご家族の方が安心出来ますように、私達も全力を尽くします」とその方は言いました。


私は、涙がこぼれてしまいました。
自分がひとりで崖に立っているような気がしていたのに、「大丈夫ですよ」と支えてくれる人が居ることに驚いて、びっくりして、涙がこぼれてしまったのでした。


「ほんとうの幸せ」ってなんでしょうか。
考えても分からないから、今やれることをできるだけやろうと主人と話しました。
「ああ、良い人生だった」と。
自分達がそう言えるように、がんばろうと
昨夜は話したのでした。
すこし休みたい
先週は大変な1週間でした。
義父が月曜日に倒れて皆で駆けつけ、水曜日には救急車で運ばれたもののなんとか帰宅、金曜日にまた悪化してお医者さまが駆けつけ、翌日に入院の手配をしたものの、やはりその夜から入院をすることになり、それからは毎日、私達は病院通いの日々です。

義母も一緒にお見舞いに行くのですが、彼女の認知症のために会話が上手く噛み合っておらず、先日は病室で財布がないと大騒ぎになってしまい、看護婦さんや医師にもご迷惑を掛けてしまいました。結局、自分が今、病院に居るということが分からなくなってしまって、家に居ると勘違いしていたせいだと分かったのですが。

最近は気分を転換するために、私は明るい日記を書いてみたりもしていたのですが、そんな時ほど実は、かなりまいっていたりします。波状攻撃のように、毎日難題が押し寄せてくるので、とても苦しいです。

昨日も親戚と電話で話をしていたら、知らない方がいい事実を知ってしまいました。
私は実母にとても憎まれて育ったのですが、私自身が受けた虐待だけではなく、私が知らないところでも彼等は裏工作として、私に酷い扱いをしていたのでした。

世の中には、常識的にはあり得ない酷いことが、意外とあります。普通の人は「まさか」と笑い飛ばすような残酷なことも、たくさんありました。それを興味本位で騒ぐ人たちが絶えないのも、事実です。

せめて、そっとしておいてほしいと、
切に思います。
とっくりばち
椎茸近くの家壁に、はりついていた奇妙なモノ。

先生が「おお。トックリバチですね。」と言いながら取りました。えっ、ハチ?!と思ったのだけれど中は空っぽ。親蜂がこの徳利のミニチュアのようなものを泥で作って、中に卵を生むのですって。

これはもう、中の子供が育って出て行った後なのだそう。トックリバチ、初めて名前を聞きました。ほんとに酒徳利のよう。なかなかラヴリーな形です。

  ……と思って、いろいろ調べてみると。

じつはこれは、お弁当箱でもあるのですって。親蜂は、この中に卵を生むだけではなく、孵化した赤ちゃんのごはんも一緒に詰めて、蓋をしておくのだそう。
つまり、この中には最近まで

  卵 & いもむし(十数匹ぎゅうぎゅう詰め)

ということでした。

  ひえええええええええぇぇぇ



思わず、投げました。恐怖
ねばり勝ち
先日、椎茸栽培キットを買って
玄関でシイタケを育て始めました。

そしたらほんとに育って。
見てくださいよ シイタケクリック→
この白く美しいヒダ。(うっとり)
嗚呼、乙女だわ。

ちなみに、左のはスーパーで買ってきてあった、いつものシイタケです。
こんなに違うと、種類が違うキノコみたい。


椎茸栽培、先生は最初白い目で見ていました。
なぜかと言うと…


今まで椎茸栽培の原木を2回(つまり毎年)買ったけれど、一度もシイタケ出なかったのです。で、今度が三度目の正直。去年と一昨年は、嫌がる先生にお願いをして買ったのですが、今年またやりたいと言ったらさすがに怒られると思って
ひとりで勝手に買ってきました。←マジやる気

今度こそしいたけ!!と本気になっていろいろ調べてみると、椎茸って突然の環境の変化にびっくりしてキノコを出すのですって。だから、原木を水の中にドボンと落としたり、いったん乾燥させたりとかするのだそう。良い環境にずっと居ても、変化がないとキノコは出なくなってしまうのだとか。

てなわけで、そのへんを心得て、その通りにしてみると
上の写真のように、ほんとうに出たんですわキノコが。

これには先生も喜んでですね。
試しにまだ外の庭に置いてあった去年の、芽が出なかった椎茸の原木も
大バケツにドボン。

そしたらですね…


 


こわい……こわいよ。

ご覧の通り、とんでもない大きさのシイタケが出てきました。
どの写真もクリックすると大きくなりますので、見てやってください。


で、バターソテーにしていただきました。
巨大な椎茸ステーキでした。

これまた、びっくりするくらい美味しかったです。
野島康三展
渋谷の松濤美術館で野島康三展が始まり、先日オープニングパーティに出席してきました。生誕120周年ということですが、パーティには今回も展示されている写真の、撮影モデルになったご本人たちも参列されていて、とても盛り上がりました。右の写真に写っていらっしゃる女性の方々です。(クリックで大きくなります)

野島康三は銀塩プリントだけでなく、素晴らしいゴム印画やブロムオイルの作品を手掛けていて、その資料の作成を大藤健士さんと先生が担当しました。2階のエレベーターホールのところに、年表と一緒に紹介されていますので、よかったら是非ご覧くださいね。

日本の歴史に残る写真の、モデルさんがまだご健在というのは素敵なことですね。当時の撮影の様子などを熱く語って下さいました。ちょっと感動してしまいました。
展示は、2009年9月29日(火)〜11月15日(日)までです。詳細はこちら


■「生誕120年 野島康三 肖像の核心展」
■ 会場: 渋谷区立松濤美術館
■ 会期: 2009年9月29日(火)〜11月15日(日)