ドイツから主人の妹さんが日本に10日間帰ってきて、一緒に義母の介護と、入院している義父の世話を看て下さいました。昨日の朝、彼女はドイツへ帰っていきました。
戸籍上では、彼女は私の妹になってしまうのですが、私より16歳年上なので、私は「お姉さん」と呼んでいます。お姉さんはドイツでピアノ教師をしています。
今回は、両親の世話をしながら彼女と二人きりでいろいろなお話をしました。彼女が子供の頃の義父や義母のこと、楽しい思い出や悲しかったこと。彼女の旦那様や、兄である私の主人のこと。私は、自分の生い立ちや今までの暮らし、それから現在の生活とこれからの不安を、素直にお話ししました。
この2週間、私は他にもいろいろな人にお話を聞きました。主人の親戚の方々、姑さんの介護をした経験がある自分の伯母、子供の頃よくお世話をしてくれた田舎のおばあさん、仲の良い友人や、やはり介護の悩みを抱える近所の奥様、それから何冊かの本。
たくさんの、とてもたくさんのお話を聞いて分かったことは
どの人の意見も参考になり、そして
どの人の意見も参考にならない、ということでした。
みんな、それぞれ自分の価値観というものを持っています。その人が生きてきた環境、人間関係、好き嫌い、それから数々の経験や、それぞれが困難にぶつかったときの対処の仕方。もちろん介護する方も、介護される方もみんな違うのです。その苦しみや悩みには「どうしたらいいか」という方法はなくて、とにかく自分自身のケースと向き合っていくしかないのでした。
共通しているのは皆、自分が他の人に比べてとても特殊で、苦しい体験をしていると感じていたことでした。離婚、痴呆、暴力、介護、うつ病。お話を聞いていると「まともな家庭」というのは、日本には存在しないのかもしれないと思えてくるほど、みんな「あの人はおかしい」という人間を、身近に抱えているのでした。
そして、私自身も「自分は何故こんなに、次々に苦労が襲ってくるのだろう」と思っていました。特に結婚してから、平和な日を1日も過ごしていないのでした。
昨日の夜は主人と、そのことについて、ゆっくりとお話をしました。「幸せってなんだろうね」「どうして自分は不幸だと人間は思うのだろう」「男と女は結局、行き違ってしまうのだろうか」「最後まで仲良しで暮らすには、今から何をしたらいいだろう」
そんなことを、お話ししたのでした。
入院している義父が、退院をしたら介護施設に入りたいと言いました。「夫婦で施設に入りたい」という義父は、私達に負担をかけまいとしてそう言ってくれているのですが、義母は「家を出たくない」と抵抗しています。私は寂しい気持ちと、介護をしきれない申し訳なさと、現実に介護が始まって自分と主人の生活と仕事が進まない苦しさで、時々気が狂いそうになるのでした。
主人が介護施設の資料を取り寄せました。今日も朝早くから、介護施設の資料をいろいろと調べていました。主人が仕事に出かけて、私は家の片付けをしていると、お昼頃に電話が鳴りました。朝、資料請求をした会社から、さっそく電話がきたのでした。
その施設の方は、とても丁寧に説明をして下さいました。
私はたくさんの質問をしました。今の症状、心配なこと。施設では毎日どんなことをして過ごすのか、お金はどのくらいかかるのか、寂しくはないのだろうか。これ以上痴呆やパーキンソン病や脳梗塞が悪化しても、対応出来るのだろうか。
遠くても田舎で環境の良い、静かで自然の豊かな場所がいいのか。それよりも都会で医療設備の整った、毎日家族がお見舞いに行ける場所がいいのか。彼らの想い、私達の生活。死に往く人を前にして、全ての条件を叶えてあげられないとき、私達はどうしたらいいのでしょう。「ほんとうの幸せ」ってなんでしょうか。
「初めてのことで、どうしたらいいかわからない」と私は、電話の向こうの施設の方に言いました。「とてもご心配のことと思います。ご家族の方が安心出来ますように、私達も全力を尽くします」とその方は言いました。
私は、涙がこぼれてしまいました。
自分がひとりで崖に立っているような気がしていたのに、「大丈夫ですよ」と支えてくれる人が居ることに驚いて、びっくりして、涙がこぼれてしまったのでした。
「ほんとうの幸せ」ってなんでしょうか。
考えても分からないから、今やれることをできるだけやろうと主人と話しました。
「ああ、良い人生だった」と。
自分達がそう言えるように、がんばろうと
昨夜は話したのでした。